木に杢(もく)あり竹に景色あり
杢というのはこだくみ、もとは大工を表す言葉ですが
日本で木の仕事に従事する人々の間において 「いい杢やね」このような表現で使われる時、その意味は板に挽いた際に独特の味わい深い木目調が現れましたね。
という意味です。
また茶道の花入れや茶杓を作る際も、転変を生き抜いて現れたゆがみやシミを巧みに配置して
自然の営みや季節の流れを「景色」にみたてて表します。
これらはいずれもかなり独特で、竹林に入って1年目のRさんは珍しい竹を見つける度に(み~つけた!)と印を付けて
心の中で(高い値段が付くらしい)と思っていました。
さすがに17年竹を伐り、材の管理、製作をしていく中で徐々に受け売りで考えている自分に違和感を感じ始め
今、そしてこれからの時代に合いあう景色のとらえ方があるのかもしれない。と考えるようになりました。
つまりは先人の方々の築いてきた文化を理解し、超えていく節目にまさに来ているということです。
幼いころ、料理を手伝っていたRさんの横で祖母が
『料理っていうのはね、作った人の思いを受けて食べる人へ繋ぐことなの』
と、ぽろっとつぶやいたことがありました。
自然の中で生きる植物たちは生まれた大地の上で根を張り、逃げも隠れもせず生きて
1本の竹にはその日その時の環境を受容し、応じて生きようとした足跡が残ります。
さらに竹は無性生殖植物のため、*有性生殖植物と違い進化の形態に特徴がありタケノコとして地上に芽を出してから
実に驚くほどの竹が節目ごとに枯れて土に還ります。
つまり厳しい淘汰のハードル走を
”雨にも負けず 風にも負けず” (宮沢賢治)
”雨降らば触れ 風吹かば吹け” (一休禅師)
また時に
”災難に遭う時節には災難に遭うがよく候
死ぬ時節には死ぬがよく候 是はこれ災難をのがるる妙法にて候” (良寛和尚)
そして時に
”・・・でぃ!”(by Rさん)
なんて呟きながらさらさらと笹をならしては、隣の兄弟を励ましてみたり
鳥たちの声風に揺れる下草に、ひとときの幸せを感じてみたり
土に還る兄弟たちをじっとじっと見つめるうちに
竹林という舞台の中で刻まれていく景色があります。
しなやかに変化を受容して、ただ生きているという美しさ